哥座星座(うたくらせいざ) ポストWEB宣言
世界(WWW)の果たてを限りとする無限大の智慧へ奉る。
二千二十五年 情報バブル時代の自画像 English
アーカイブを無際限に収集、分析し、再配分した先取り情報ガ現代を行き交っている。しかし、これらの情報を鵜呑みにするな。そこに表象された世界はレバレッジを効かして広告価値を最大限に高められた空虚な先物情報から組み立てられている。いまや、あなたという先物情報で、リアルのあなたを操作するのは情報工学の常套手段となっている。
たとえば、明日のわたくしは、検索してダウンロードしてきた今日のわたくしと出会ふことになる、そして、わたくしよりもわたくしらしいサーバー上のわたくし自身と関係することによってさらなる明後日のわたくしへと肥大していくことだろう。しかし、それは、googleに代表される情報テクノロジーによる情報プラットフォーム上の、情報バブルとしての自画像なのだ。ギリシャ悲劇が教えるように、この物語は、論理的必然として必ずやクライシスを迎える。
惑わされるな!
「IT」ではいくら進化速度を上げても、
一歩さきの未来さえ捕捉できない。
たとえば、未だに
「 Googleというアキレウス」は、
「目の前を歩く亀」に追ひ着いていない。
どれほど頑張っても、ITでは未来を拓けないと気づき始めた。ITの巨大データの超高速解析で未来が予見されそうに思い込まされていたが、それは、ちょうど、地球シュミレーションプロジェクトがそうであったように、金融資本や、産学協同の権力的な思惑を後ろ盾にしたIT神話の必要性から生まれたプロパガンダによるまやかしであり、錯覚であったのだ。たとえば、Google検索で、システム判断にもとづいて提示された現在や、未来予測とおもわれていたものは、慣性の法則に従った過去世界のデジャヴのようなものだった。彼等の情報は、過去が描きだした歪んだ幻にすぎなかった。 あの頃よく考えていれば、騙されないですんだはずだ。もともと全体世界として位置づけられる未来は、過去の分析から拓ける種類のものではないのだから。いみじくも、ネイティブアメリカンに伝わる智恵が「未来も過去も現在も自身の胸で考えなければいけない。感じなければいけない。頭だけで考えるのは、一種の狂気である」と指摘していたように…。けだし、ITプラットフォームが設定されたとき、すでに全ての情報世界は過去の古いものごとに成り果てて、処理されるよう宿命づけられていた、そこにもとずく予想値は、正確にいうと、生きたモノ・コトでは無くなっている。www世界で譬えれば、「IT世界の俊足Googleというアキレウスといへど、先に歩き出していた亀へは、永遠に追いつけないのだ。」なんとなればWWWというものは、時間と空間を分割可能な単位からなる連続量として前提し、始めて可能となっているシステムであるからだ。しかし、そこには、ゼノンの逆説定理がいまも、常にアポリアとして働いている。とどのつまり、この問題は、古代ギリシャ時代に「科学という物語」が措定(プラットフォーム化)されたときの始原の問題へと行き着いてしまう。オソラク、イマ、ITの深みに嵌ってしまった欧米文化圏内では、この問題はクリアーできないだろう。「人はみな、己の影を踏み越えて、歩むことはできない。- マルティン・ハイデッガー」からだ。
二千二十五年 都内某所にて